代表取締役CEO
千葉県生まれ。ケツメイシやリップスライムのスタイリストアシスタントに2年間ほど従事。その後、リクルートに入社し、営業や事業企画など幅広く経験したうえで、人事部責任者や、営業部責任者を歴任。2022年4月に株式会社Unitas創業。現在は、ワークシフト事業を主力事業としながら、政府系金融機関や、大手証券会社における経営や人事のコンサルティング、リクルートに対する営業コンサルもハンズオンで行っている。
青山学院大学を卒業し、幼少期からの性分が目立ちたがり屋なため、(一般企業を選ばず)スタイリストアシスタントの道へ進みました。この業界は、師匠と弟子の関係であり、1人前にアシスタント業務ができるまでは、給与がまったく支給されないため深夜までアシスタント業務をし、翌朝まで、(廃棄弁当が食べられるという理由で)コンビニで、レジ打ちをし、ほぼ寝ずに次の日仕事に向かっていました。用賀の家賃4万の築50年のボロアパートに住みながらバイトだけでは(生活費いっぱいいっぱいで)家賃が払えないため、両親から仕送りを貰って生活していました。
仕事への価値観が変わる出来事があり、泣く泣くスタイリストアシスタントを辞め、リクルートに契約社員(当時CV職)として入社しました。志望理由はシンプルそのものでコミュニケーションを苦手にしている自分を、徹底的にいじめ抜くために、敢えて営業力に定評があったリクルートを選択しました。入社当初こそ苦戦したものの、同期300人の中で、最速でトントン拍子で出世していき、入社3年後には当時最年少の26歳で、営業30名ほどのマネージャーに昇格していました。当時を振り返って、まさに天狗だったと思います。
順調に出世し、30代半ばあたりからそろそろ起業したいと心に秘めていましたが、(正直言って)独立してやっていける自信がなかったです。(その時、すでに独立していた当社CTO逢沢にも相談しました)リクルートの看板がなくなったら、自分には、何が残るのか良くわからなかったですし、家族がいる中で、本当に養っていけるのか、日々悶々としながら30代後半を過ごし、どんどん、仕事がつまらなくなっていきました。そんな悶々と過ごしているとき、とある出来事が起こりました。38歳の時、母を肺ガンで亡くし、その2年後の40歳の時、父を敗血症で亡くしました。コロナ禍であったため、葬式に参列した人もまばらでした。葬式に参列している最中、両親の人生って何だったのだろう?と、寂しさと虚しさが去来したのを、すごく覚えています。
その時に、強く悟りました。「人生は有限であり、一度しかないということ」を。だから、失敗しても良いから、チャレンジしたいと思って、起業を決意しました。 今は、共に働いてくれているメンバーに感謝をしながら、“自分にしかできない社会貢献をする“ことしか、考えていません。
私自身、40年以上生きてきて、「強み」もあれば「弱み」もあります。もはや、弱みを改善することは諦めており、強みを伸ばすことにリソースを集中しています。
構造的に物事を理解し、論理的にコミュニケーションをとり、定量的に物事を把握することは「得意」だが、老若男女から好かれるコミュニケーションをとり、人を束ねたりするのは「不得意」です。20代、30代の頃は、弱みを徹底的に改善しようと、不得手なことにも果敢にチャレンジしたが、(改善はされたが)強み、にはなっていません。よくわかったことは、強みを徹底的に伸ばし、強みを活かせる環境を見つける方が、人生豊かになる、ということです。
ドラッカーも云う「強みによってしか、人生は大成しない」と。で、あれば、我々(=ユニタス)は、クライアントそれぞれ(uni)のキャリアや事業をプラス(tas+)に輝かせるビジネス・キャリアデザインカンパニーでありたい。我々と出会った以上は、人生がプラスになるきっかけを創る、それが私たちの想いです。